私は、名古屋の街中で生まれました。
生れた時から、水洗トイレだったし、
上水道もありました。
これって、当たり前だと思っていたけど、
大きくなるにつれ、そうではない、と気が付きました。
サラリーマンの父と、
お琴の先生の母。
母方の祖母と一緒に暮らしていました。
きょうだいは、妹が二人。
内弁慶のわがままお姉ちゃんでした
そんな私は、何とか母の歓心を得たくて、
教えられるまま、お琴を一生懸命お稽古してました
母の幼い頃は戦後。
貧しい中、成長する中で、やっと芸事に精を出しても許される時代だったのかもしれません
だから、母のお仲間もそれは熱心な方ばかり
大きな演奏会、
小さなおさらい会、
数えきれないほど、出演させていただきました。
自分がその方たちの年齢を超えた今、
よくあんな幼い私にbig chanceを下さったものだと、
頭が下がります。
見たいテレビの途中で呼ばれてお稽古させられるときは、
本当に嫌で嫌で仕方なかったのに、
だんだんのめり込んでいったわけです